分からないから怖い。

ミステリー小説が好きです。そして読んでいて一番怖いと思うお話にはいつも共通点があります。それは、

「分からないから怖い。」

理解できない動機で反抗に及ぶ犯人、意味のない犯罪。
怖いです。
そしてそれは現実世界でも共通していると思います。
無差別殺人や通り魔や怪談など。分からないから怖いのです。

さて、これを合い言葉に昨日、原発に関する本を買いました。
今回の事故後に発行されたものではないものを。

まだ読み途中なのですが、心に響いた部分を残しておきたいと思います。

1903年ノーベル物理学賞をベクレルと共同で受賞したキュリー夫妻。夫のピエール・キュリーノーベル賞受賞者講演より。

ラジウム放射線が、いくつかの病気(狼瘡、ガン、神経疾患)の治療に使われました。ときに危険な場合があります。ラジウム塩が数センチグラム入った小さなガラスのアンプルをしまった木箱またはボール紙の箱を2・3時間ポケットに入れておいても、人は何も感じません。しかし、15日後、表皮が赤くなり、ついで痛みが来るが、その治療はとても困難です。
(中略)ラジウムが犯罪者の手に渡ると非常に危険になるでしょう。その結果、人類が自然の秘密を知ることの利益とは何か、それを得る準備はできているのか、その知識が有害となることはないか、といった問題が生じます。ノーベルの発明の例が典型的です。強力な爆薬のおかげで人は素晴らしい仕事をすることができます。しかし爆薬は、人々を戦争に引き込もうとする巨悪の手に落ちると、恐ろしい破壊の手段となります。私はノーベルと同様、人類は新しい発見から害悪よりも善をより多く引き出すと信じている一人です。」

原発とプルトニウム(PHPサイエンス・ワールド新書) [新書]
常石 敬一 (著) より抜粋。

事実がかいてあるだけの本なので、まだ理解しきれない部分も本当にたくさんあるのですが、そのただの事実に、言葉に尽くせない感情がたくさん溢れては消えていき、何度も涙ぐみました。
人間はなんて不安定なんだろうと、歪な積み木遊びを続けているかのようだと思いました。

かつては自然界にも存在したプルトニウムが、地上から姿を消して15億年程後に人類が出現。
100万年程はプルトニウムとは無縁の生活を送っていたのに、化学の進歩により人工的に生成する技術を手にしたのが1940年。
プルトニウムを使った原爆が長崎に投下されたのがその僅か5年後の1945年。
スリーマイル島原子力発電所事故が1979年。
チェルノブイリ原子力発電所事故が1986年。
そして現在、福島第一原子力発電所の事故2011年。

その、あまりに新しすぎる歴史にびっくりしました。

そりゃあわたわたするはずだ、と思いました。
だから未だに核実験が繰り返されているのかと、思いました。


それから、ポツダム宣言が1945年。
敗戦後日本の原子力研究は全面禁止になっており、
1952年のサンフランシスコ講和条約によって研究が解禁となりました。
国連本部で開催された原子力の平和利用に関する国連総会でのアイゼンハワー米大統領の「平和のための原子力」演説が1953年。

さっきの本によると、この演説以降に、プルトニウム発電所や船の動力のため原子炉で生成され続けることになったそうです。
そして1955年に日本で原子力基本法が成立。

先日書いた1960年に福島が双葉郡原子力発電所誘致の敷地提供表明した事実と掛け合わせて考えると、どう考えても、実際に日本だけの問題ではないと思いました。

まだ「知らないから怖い」は解決できていません。
またこれらの、あまりに短い原発の歴史からみて、容易に片がつく問題ではないことも実感してしまいました。
それでも知っていくことは無駄ではないと思います。

0時を回りました。
避難指示区域だった私の実家は、今日から警戒区域となりました。